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よさこい祭り-1(2008.08.11撮影) [地域]

よさこい祭り
 一昨年の第60回よさこい祭りまでは撮影に出かけたが、高齢になり、猛暑に耐えられる自信はないのでテレビで観た。
 私は踊り子の祭に酔ったような表情を追いかけた。当然女性の踊り子が中心だが、真剣に踊る表情が美しい。高知城下には盆踊りもなく、山内家は人が集まる行事は許可していなかった。生粋の土佐人はいまだに山内が嫌いである。昭和26年(1951年)に徳島の阿波踊りをお手本にして始まったのがよさこい祭りである。
 ルールは鳴子を持つこと、よさこい節を編曲した曲を使うことだけである。これが土佐人の気質に合って年々盛んになった。2015年の参加チーム数は206チーム、県外チーム40数チームに及ぶ。よさこいのために移住して来る人もいるようだ。画像はCANON 40Dで撮影したものである。

踊り子-1
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赤岡町-3 [地域]

赤岡町-3
 町を歩くと、かつての町の繁栄ぶりがうかがわれる。古びているが大きな土蔵や住宅がある。まるで戦前の町を歩いているような感覚がする。店の看板も今風ではなく、昔の右書きの看板や時代との乖離を逆手にとったような看板・表示もあった。時代に取り残された町、しかし、泥臭く頑張っている町である。以前は近県からも観光バスがきたようだが、観客が少なくなったようである。


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狭い街並みに人が増えた
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タグ:赤岡町
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赤岡町-2 [地域]

赤岡町-2
 高知市から東に車で約40分の所に香南市赤岡町がある。町の面積1.7平方キロメートル、人口約3,500人、県最小の町。徳島に続く国道55線沿いの太平洋に面した町である。かつては製塩、木綿縞の織物、回船業が盛んで大阪と交易し、資産を築いた商人が多かった。しかも交易品は高知よりも「二割安く売ることができる特権」があったので商いは盛んであり、莫大な利益を上げた。街を歩くと時が止まった感がある。今も財をなした人達の子孫は相当の資産があると思える。大きい住宅の塀は漆喰であり、漆喰は高価である。絵金作品を展示している「絵金蔵」や芝居小屋「弁天座」も再建されている。


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ちぐはぐな商品
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タグ:赤岡町
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赤岡町-1 [地域]

西川屋
 BSプレミアムで毎週金曜日に放映されている参勤交代のドラマ「一路」でその大変さがえがかれている。赤岡町は土佐藩の参勤交代最初の宿泊地であった。参勤交代の経路は海岸沿いに徳島に出るルートから江戸中期亨保3年(1718年)に山を越えるルートに変更された。海岸沿いに徳島に出るルートの時代には赤岡町は最初の宿泊地であった。赤岡町に「西川屋」という老舗の菓子店があるが、土佐藩ご用達の店で天井裏に色々な資料が残っていた。

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西川屋
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絵金祭-2(12.07.27撮影) [地域]

絵金祭-2 
 絵金は文化9年(1812年)城下の髪結いの子として生まれ、幼少より画才に秀で、お城絵師・楊齊から狩野派の画風を学んだ。師の推薦で江戸に上り、江戸城御絵師・駿河台五世狩野宗家に学んだ絵師金蔵は通常10年といわれる修行期間を3年で免許皆伝にあたる一時拝領を受け、高知に帰郷後、藩士の株を買い士分格となり、家老のお抱え絵師となった。狩野探幽の贋作を描いた、との噂が広まり、城下追放となり、赤岡の廻船問屋に嫁いでいた伯母を頼って住み着いた。実際は彼の才能を妬んだ仲間の絵師が模写したものを贋作と言い立てたとのこと。世過ぎのため町の旦那衆の依頼で屏風絵から戯画にいたるまで求めに応じて書いた作品が残っており、町興しの大きな財産となっている。毎年4月最終日曜日に開かれる酒の一気飲み大会「ドロメ祭」も赤岡町主催である。もう一つ12月の最初の土・日に開催される「冬の夏祭り」もある。

NEX-7 Sonner SEL24F18Z

良弁杉由来
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タグ:絵金祭
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